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    タグ:笑っていいとも


    タモリ(1945年〈昭和20年〉8月22日 - )は、日本のお笑いタレント、テレビ司会者。福岡県福岡市南区市崎出身。田辺エージェンシー所属。ビートたけし、明石家さんまと共に、日本の「お笑いBIG3」の一角を担う。本名は森田 一義(もりた かずよし)。 1982年から2014年まで『森田一義アワー 笑っていいとも…
    145キロバイト (19,752 語) - 2022年10月23日 (日) 15:02
    変わった面白さがあったんやな・・・

    1 フォーエバー ★ :2022/10/28(金) 22:47:00.66ID:ntfb4Ple9
    10/28(金) 21:31配信

    週刊女性PRIME

     40年以上にわたり、お茶の間に愛され続けてきたタモリ(77)。昭和58年にスタートした冠番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)は10月8日に40周年を迎え、18年ぶりとなる新著『お江戸・東京 坂タモリ 港区編』(ART NEXT)も10月12日に発売されるなどその活躍ぶりは健在だ。

    【写真】ポスト・タモリになりそうな芸能人たち

     一方で、終戦の年に生まれたタモリは今年8月に喜寿を迎えている。いつまでも続くと思われていた『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)が突然終了した2014年のように、タモリがテレビの舞台から姿を消す日も、考えたくはないがいつかはくるだろう。そのときにタモリに代わりテレビの顔となるのは誰なのか……江戸川大学マスコミ学科教授で、お笑い評論家でもある西条昇先生に話を聞いた。

    ポスト・タモリは誰か?
    「タモリさんがデビューしたのは、やや遅咲きで30歳のころ。もともとは芸人を目指していたわけではなく、ジャズ演奏家の山下洋輔さんらにその面白さを半ば発見されるような形で福岡から上京することに。

     その後、素人芸人としてアングラな“密室芸”を披露するなかで、漫画家の赤塚不二夫さんに気に入られたことが大きな転機となって、ついにテレビデビューを果たしました」(西条先生、以下同)

     デビュー当時は“4か国語麻雀”というネタや、イグアナの形態模写、デタラメな言語“ハナモゲラ”を話すネタなど、マニアックな即興芸で人気を博したが、テレビ業界的にはややキワモノ芸人のような存在だったという。

    「タモリさんの精緻な観察眼やアドリブ力から生まれる即興芸は本当に面白く、他の芸人とは一線を画すものでした。今の芸人でいえば、日常の光景をモノマネに落とし込む中川家・礼二さんには、芸人としてのタモリさんと似た雰囲気を感じます。

     また、ピン芸人としてのシュールさやマニアックさという点では、バカリズムさんなども意外と近いものがあるかもしれませんね」

    https://news.yahoo.co.jp/articles/4e03e6b55d1d205768eaefd318228cc5cab42f1f?page=1

    https://news-pctr.c.yimg.jp/uUzvQ3lML_bkIqyakc1vFhNrRI0RUQxg5aFkrX0xDg1_T0wXrbEJjtNGtrf1o9y3rXI_6xGctmGa6PxAvGWtjpO_1uet2OJJ5VU0mNdppbK4YOEQOQAIfFNKIORd7e2JqtYtOoGnWlOMGQ8byM5qWcinTYhl3OYlKjrUyCBq7PCNOLfzDQsQKJUjLsT8c4UR

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    石橋 貴明(いしばし たかあき、1961年(昭和36年)10月22日 - )は、日本のお笑いタレント。1980年に木梨憲武とお笑いコンビ「とんねるず」を結成し、歌手、俳優としても活動。 アライバル所属、同社代表取締役社長。帝京高等学校卒業。 趣味: 野球・ゴルフ・映画鑑賞・酒・料理・競馬
    44キロバイト (5,959 語) - 2022年4月28日 (木) 10:43
    もう8年前なんだな・・・・

    1 jinjin ★ :2022/05/06(金) 23:30:05.10

    石橋貴明「ダウンタウンと仲悪いとかない」いいとも最終回の裏側語る


    お笑いコンビ「とんねるず」の石橋貴明(60)が6日、自身のYouTubeチャンネルを更新。14年3月31日の「笑っていいとも!」最終回の裏側を語った。

    明石家さんま、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンらが一堂に会した伝説の最終回。
    石橋はフジテレビ側から「俺らと爆笑問題は、全部終わった後に出てくれって言われたの。この忖度は誰のための忖度なんだと俺は思っていて。でも俺はただただ見ていたのさ。余計なことはやるまいと思って」と楽屋で放送を見ていたという。

    しかし「(ダウンタウン)松本(人志)が『とんねるずが来るとネットが荒れるから』って言った瞬間に『んっ?』てスイッチが入っちゃったんだな。余計な忖度はやめようと」とタモリ、ダウンタウンらがトークを繰り広げているコーナーに、相方の木梨憲武と乱入した。


    「別に誰と不仲だとか、そういうことではないんだよ。ダウンタウンと仲が悪いとかないんだから。何もないんだから。変にフジテレビの誰かが忖度したから『何っ』と思って、それにキレたというのが、ことの真相」と乱入した理由を語った。


    https://news.yahoo.co.jp/articles/cdf82ff778c9957c1c193f2885571965b889de23


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    ありがとうございました。

    1 ひかり ★ :2021/12/13(月) 07:14:41.31

     俳優坂上忍(54)が司会を務めるフジテレビの情報番組「バイキングMORE」(月~金曜前11・55)が来年3月いっぱいで終了する。

     【坂上忍のコメント全文】

     「笑っていいとも!」という国民的人気番組の後を引き継いだことから、「バイキング」が重責の中のスタートとなったのが、8年前。当初は月曜日のみの担当でしたが、翌年には全曜日を任されることに。“とうとうフジテレビさんは血迷ったな”と思いつつ、この逆風を、どのようにすれば味方につけられるのか?日々スタッフさんと侃々諤々(かんかんがくがく)、試行錯誤しながら、結果的には8年という歳月を共に過ごさせていただくことができました。

     これもひとえにスタッフの皆さまの尽力のおかげであり、“本音トーク”といった大きな方針転換があったにもかかわらず、リスクを顧みず持論を展開してくださった共演者の方々の勇気のたまものだと思っています。

     そんな中、2年ほど前からでしょうか。どこかで“区切り”をつけなくてはと思い始めたのは…。当初は、丸10年は務めを果たさなければならないのかなと。10年やり切って、初めてご恩返しと言えるのかなと。そんな中、こちらもフジテレビさんでお世話になっている「坂上どうぶつ王国」で、私の終活作業である、動物の保護活動をメインとした施設が、来年の2月を目途(めど)に第1期の工事が完了し、4月から保護活動ができることとなりました。

     そこで、まことに勝手な想(おも)いではあるのですが、このタイミングが番組を卒業する“区切り”としては、ベストなのではないかと。保護活動は片手間でできる作業ではありませんし、我が儘(まま)が許されるのであれば、「バイキング」に費やしていた時間を、動物と向き合う時間にあてさせていただくことはできませんか?とお願いした次第です。

     役者畑からバラエティーの世界に呼んでいただいて、ちょうど10年ほど。一心不乱に働きました。働いた分だけの迷惑もおかけしてしまいました。「バイキング」に携わった関係者の皆さまには、感謝しかありません。現場のスタッフの皆さんが共に闘ってくださり、時に守ってくださったからこそ、今の私があるのだと思っています。

     そして、私のような頑固なおじさんを、生放送の枠で起用し続けてくださったフジテレビさんには、“ありがとうございました!”の気持ちでいっぱいです。とはいえ、ご迷惑でしょうが…まだ引退とはなりません。動物たちの為(ため)にも、まだほそぼそと稼がせていただきます(笑い)。

     今後とも、よろしくお願い致します!

    スポニチ

    https://news.yahoo.co.jp/articles/6284f167c296f247ec9baac7d04ed83d4a1f52f3


    【【マジ泣ける!】坂上忍 このコメントはたまらない・・・・・】の続きを読む


    挨拶は大切・・・

    1 Egg ★ :2021/11/25(木) 18:33:22.92

    お笑い芸人、タレントの関根勤が24日に放送の『あちこちオードリー』(テレビ東京/毎週水曜23時6分)に出演。かつて『笑っていいとも!』(フジテレビ系)に登場した態度の悪い女性タレントについて怒りをあらわにした。

     この日の番組は関根と小堺一機をゲストに迎え、オードリーの2人が芸能界の大先輩にさまざまな疑問をぶつけていくという展開に。

     若林正恭は、『笑っていいとも!』で20年以上レギュラーを務めた関根に、芸能界を生き残るタレントと消えていくタレントが見分けることができるか質問。これについて関根が「タモリさんにロクでもないあいさつする女は消えるよね」と即答し、スタジオは爆笑に包まれた。関根は『笑っていいとも!』本番前のリハーサルを振り返りながら、その女性タレントについて「ものすごい機嫌悪いのよ」と説明。それを横から見ていた関根は“何だこの女は”と思っていたという。

     このエピソードを聞いていた小堺が「言ったの?」と、そのタレントを注意したか尋ねると、関根は「言わない」と返し「だって、言ったってしょうがないじゃん、直んないもん」とポツリ。続けて「すぐ消えたよ! あっという間だよ…あんな態度悪い奴」と怒りをにじませていた。

    クランクイン 11/25(木) 17:00
    https://news.yahoo.co.jp/articles/c3901be3da40683b448d36ea977bae7af83ed2c2


    写真

    (出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
    ?pri=l&w=640&h=481&exp=10800


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    へーそうだったのか・・・

    1 吸湿性守口CEO ★ :2021/08/09(月) 19:28:49.42

    学費未納で抹席処分となり、叔父に連れ戻される形で地元・福岡へと戻っていたタモリが二度目の上京を果たすのは1975年のことだった。『笑っていいとも!』の初回放送は1982年。この間の7年強、タモリはどのように過ごし、どのようにお昼の帯番組の司会者という名誉ある仕事を勝ち取ったのだろうか。

     社会学者の太田省一氏の著書『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)の一部を抜粋し、芸人としての活躍の足跡を振り返る。

    (中略)

    そこに一大転機がやってくる。フジテレビ『笑っていいとも!』のメイン司会に起用されたのである。1982年のことだった。

     タモリは「恐怖の密室芸人」として、大学生など若者を中心に絶大な人気を博していた。だが、お昼の12時からの番組となると、視聴者は主婦層が中心である。その時間帯の番組では、各局とも品行方正で建前的なことしか言わないタレントやアナウンサーが司会を務めていた。タモリはそれと正反対の存在だったわけで、その起用は、危ぶむような驚きの声で迎えられた。番組プロデューサーだった横澤彪は、「ワースト・タレントの大本命だった」タモリの起用に対して、「猛反対の嵐」が周囲から巻き起こったと述懐している(横澤『犬も歩けばプロデューサー 私的なメディア進化論』)。

    しかし案に相違し、『笑っていいとも!』は結局、32年も続く長寿番組となり、日本のお昼を代表するテレビ番組になった。司会を務めたタモリの存在は、この番組を通じて一躍、全国的に知られるようになった。『笑っていいとも!』でタモリは、それまでの毒のある芸風を抑えてうまくお昼という時間帯に適応したとされる。実際、作家の小林信彦もこう指摘する。「タモリは、発想の根本にある〈差別〉を薄め、(中略)「笑っていいとも!」の〈無害な〉司会者として〈成功〉した」

    確かにそういう面はあるだろう。しかし、私たちが想像する以上にタモリはずっと変わらなかったと見るべきではないだろうか。言い換えれば、タモリにとって「差別」や「毒」といった要素は、実はそれほど本質的ではなかったのではないか?


    ※全文はソースで
    文春オンライン 8月9日
    https://bunshun.jp/articles/-/47467?page=1


    【【オドロキ】タモリの司会「猛反対」…『笑っていいとも!』大成功の“理由”】の続きを読む

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